セラピーの基本1

<心とからだのふれあい>


誰でも苛酷な時間の圧迫から逃れて、リラックスする必要があります。
音楽を聴いたり、雲の動きを眺めたり、砂浜できれいな小石や貝殻を探す・・・こんな風にして私たちは心を鎮め、無心の一瞬に自分の全一感を取り戻そうとします。子供は木登りをしたり、素足で大地を駆け回ります。自分の気持ちに素直になって、根本的な本質部分とふれあっています。ところが大人になると、頭だけを使う時間が急増してきます。
今こそ、このアンバランスを正すべきときです。優しいふれあいのテクニックを再発見して、身体にかえりましょう。ゆるませやで学ぶテクニックは、癒しや元気づけ、痛みの軽減、緊張の緩和のために使えるありふれたコミュニケーション手段であり、とりわけ、相手を思いやっているという真実を伝えるために、誰もが活用できるコミュニケーション手段でもあります。そして、森の奥に開けた空き地のように、私たちに息つく空間を与え、リラックスして自分自身を再確認する空間を与えてくれます。
仕事や家庭におけるプレッシャーは強まるばかりですが、マッサージはプレッシャーに対抗する手段でもあります。多くの人は、日常的に凝りや痛みのある状態で生活していますが、マッサージをしたり、してもらったりしてはじめて自分の筋肉が緊張していることに気づき、どれだけエネルギーを消耗しているかを知ることもよくあります。マッサージは自己啓発の旅でもあります。もっとリラックスして、自分自身と同調し、身体が自由に呼吸して、大地を踏みしめて立ち、自在に動ける喜びを体験するとはどういうことなのか、明らかにしてくれる旅なのです。

 


<コミュニケーション手段としてのふれあい>


ふれあい(タッチ)とは、ふれることによって繋がること(コンタクト)であり、外界や足下の大地と自分自身の結びつきの関係でもあります。ふれあいは動物同様、人間にとって非常に重要な意味をもっています。ふれあうことで安心感や温もり、楽しみ、慰めが得られ、新たな活気が湧いてきます。自分はひとりぼっちではないと教えてくれます。
あらゆる感覚の中で最初に発達するのが触覚、つまり、ふれあいの感覚です。赤ちゃんは、主にこの触覚による体験を通して世界を探り理解します。両親との愛情のこもったふれあいは、人の成長に欠かせません。ふれたい、ふれられたいという欲求が満たされている限り、私たちは健全に成長することができます。しかし、これが妨げられれば、発達が損なわれることもあります。乳幼児の頃に抱きしめられ、なでられることが自己の健全なイメージ形成を促すからです。「自分は受け入れられ、愛されている。だってふれてもらっているもの。」という気持ちが育ちます。35年以上も前に、アメリカの心理学者S.Mジェラードは、他者にどれだけふれてもらっているかという気づきが、自尊心、すなわち自分をどれだけ尊重できるかにはっきり関係していることを証明しています。
霊長類の赤ちゃんに様々な実験をした結果によれば、現実を捉えるときの感覚は全て触覚に基盤をおいているので、思いやりのある優しい母親とのふれあいがきわめて重要で、逆にふれあいの欠如が身体的、情緒的発達の大きな妨げになることが証明されています。親しい存在との接触を禁じられるのは、社会の中で自分だけが取り残されたようなもので一種の虐待とも捉えられます。ふれあいがなくなると、ひどく淋しく不安になります。最近行われたアメリカの医学研究によれば、ふれあい(コンタクト)を禁じられた患者は強い孤独感を覚え、肌のふれあい(ヒューマン・タッチ)の温もりを断たれたと感じるという結果がでています。
ふれあいは、一つのコミュニケーション手段です。自分の感情を表したいとき、相手を愛し、欲し、理解し、認めていることを相手に伝えたい時に、私たちは本能的に使っています。子供がどこかにぶつけて怪我をしたら「痛いの痛いの飛んでいけ~」のおまじないは自然に生じる反応です。熱があると聞けばすぐおでこに手がいきますし、腹痛、頭痛でも痛い部分に手をふれます。心理的に苦痛を感じると本能的に反応して、抱きしめたり、慰めたり、さすって、共感や理解、安心感を伝えようとします。
もし一人で苦痛に耐えているのなら、自分をそっと抱きしめて、疲れた心身を両手で包み、痛むところがあれば優しくもみほぐしてあげてください。
ふれあうことに臆病にならずに、愛情を表現したり、リラクゼーションや癒しを促したり、痛みや悲しみを訴える方法としてもっともっとふれあいを大切に学び、多くの人に伝えていきましょう。

 

▷セラピーの基本2